ー パパの脱線思考 ー
紙飛行機

 

2 バス木琴


たぶんほとんど誰も知らない楽器だと思いますが、小学3〜4年生のころ、合奏好きの先生の下で私が演奏していた楽器は「バス木琴」でした。

小学校の合奏は、主旋律を奏でるたて笛・ピアニカなどを選ぶ人が多かった一方、一人しか演奏できない(一台しか無い)楽器は競争率が高かったように記憶しています。
そうした中、競争率が高くても然るべきなのに、なぜか常にカバーがかかって誰も選ばなかった楽器が「バス木琴」でした。

バス木琴を選んだ理由はよく覚えていませんが、多分競争率が高い楽器を狙いジャンケンで負けてしまったら、それしか残っていなかったのだろうと思います。
木琴というとガイーヌ「剣の舞」や、昔のNHK「今日の料理」のマリンバなどをイメージされる方も多いかもしれません。
しかしバス木琴というのは地味ぃ〜な楽器で、いわゆるベースの音、多くは後打ちで、しかもフエルトたっぷりのバチで、どんなに頑張って叩いてもほとんどまわりの音にかき消されてしまうようなくぐもった音でした。

しかし先生は叩き方から丁寧に教えてくれましたし、他の楽器と同じように練習中に何度も注文を付けられているうちに、私は次第にバス木琴にのめり込んでいったのでした。
そして学芸会で「クシコスの郵便馬車」を合奏して以来、バス木琴は小学校で私だけの楽器になっていました。

こうして地味な2年間を経て小学5年のある日、学校にティンパニが入りました。
当時学校では一番高価な楽器でしたが、先生は2年間バス木琴で下積みを重ねた私にだけティンパニに触ることを許してくれたのです。
実は、バス木琴のバチはティンパニのバチだったのです!
ティンパニ独特のロール打ちも、バス木琴で練習してきたので簡単です。

これで音楽の人生が変わりました。
ティンパニもベースの後打ちは多いですが、なんと言っても楽器も音もでかく目立ちます。
小学6年の市内音楽発表会で「太陽にほえろ-青春のテーマ」を演奏した時のことは、忘れられない思い出です。
念のため補足しますと、その頃学校ではトランペットやフルートを朝練する友人が増え、さらに学校にドラムセットが入り、運動会の鼓笛隊で腕を鳴らした友人が次々ドラムを叩き始めたりで、それはそれは素晴らしい「青春のテーマ」でした。

そして、これ以来約15年ほどティンパニとつき合うことになったのですが、その原点は小学校でずっとカバーがかかっていた「バス木琴」だったのです。

その後バス木琴の人気があがったことは云うまでもありません。

-2000.11.30-

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